福島へ ~前篇~
|看護学生室
原発事故から1年、いま福島はどうなっているのか。テレビだけではわからない現地の様子を、小林はるみ看護部長が福島へ行きレポート!
2回に分けてブログにアップします。
福島に近づくにつれて放射線線量計の値が上がっていった。
バスの中でも0.4μシーベルト!!えっと思っているとお昼を食べた郡山では雨どいの雨のしずくが落ちてくるところは何と1.2μシーベルト!!こういう中で福島の人たちは日々暮らしているのだと、色も形もない臭いもないものへ「恐怖」を感じた。
検問前まで行ったが、そこでも1.4μシーベルト。1年間の上限を1㎜シーベルトとしているが、1.4×24時間×365日=12㎜シーベルトになってしまう。東京は0.06μシーベルト・・桁が違っているのだ。除染も進まない、やってもやっても森や林に降り注がれた放射能が流れてきてまた同じになるという。除染した土があちこちに中間貯蔵庫を作っていた。これをまたどう処理するのか当てはないのだと・・・。
科学で解決できていないことを人間の勝手な利益のために使ってはならない。そして使った結果がこれなのだと目の前に示してくれた。大飯原発の再稼働が関西電力の夏の電力需給が間に合わないとやたらといっているが、間に合わせるためにどうするかであって原発再稼働のはずがないと改めて強く思った。そこが福島の再生の一歩に繋がる条件なのだとも・・・。
広野町に行ってきた。20キロ圏の外に位置し、計画的避難場所を解除されている。しかし5400人いた人々はようやく300人くらいが戻っただけという・・家がなくなっただけではない汚染地域になったのだ、昼は家に帰ってきているが夜は真っ暗・・私たちがいる間に人影はなった。そんな中でもひときわ目立った建物がある。1つは火力発電所の煙突、そして似つかわしくない(失礼だが・・)講堂、広野公園に立っている企業。原発を誘致するのに寄付金を多額にばらまいた。そして誘致金が国から地方自治体に投入されてきた。しかし、教育や福祉などに回ったわけではない。建物に限定されていたのだという・・・誰が儲かっていたのか?結局そのお金も大手企業に、大手企業は非正規雇用で労働者を雇っている。今も原発労働者はいわきに旅館を取って広野町駅まで通勤し、もっと高い線量の地域で働いているのだと思うと背筋がぞーとする。どこまで企業の論理で利益追求なのだろうか、労働者の命をどう思っているのか・・・。そういうことへの反省が、東電にも原発利益共同体といわれる人たちにはないのか!ここでも「それでも原発を進めるのか」と強く思わされた。
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