いのちをまもるということに一歩も妥協しなかった
|看護学生室
原発の稼働を許さないーこのことを言い続けて、被爆者医療を続けられている医師がいます。
健友会の初代西荻窪診療所所長ー肥田舜太郎医師が95歳を迎えながら、全国各地で原爆医療の取り組みを講演されています。
5/30中野共立病院を含む健友会の職員会議で、講演いただきました。
67年前、先生は広島の陸軍病院にいました。爆心地から350m。先生は、たまたま心臓弁膜症の小児の往診に行っていてたまたま被ばくをせずに済んだのです。
戻ってきて荒野を歩き、誰も診察をしない原爆症の診療を続けていました。
先生は言います。「一生治らない。死んでいく人間と友達になりながら、励ます」
そして
「戦後67年、まだ半分アメリカに占領されている日本。
医療者は、人間をみず、臓器しかみない。悪い臓器と一体になっている人間をみるんだ!!」
と、強くメッセージを送っていただきました。
「今生きている大人の責任として、放射能汚染は絶対にこれ以上広げてはいけない。核と人間は共存することはできないんだ」と人生をかけて生きてこられた肥田先生。
私たちも受け継いでいくぞ!と決意を新たにしました。
先生と一緒に頑張って医療活動をしてきた、初代婦長さん。御齢92歳。
私たちの働く杉並区内を肥田先生と自転車2人乗りして検診活動をしてきました。
民医連の診療所が今あるのは、先生と婦長さんが、検診活動を回ったから。杉並の診療所のルーツを生の声で知る貴重な一場面となりました。
いつまでも、おげんきで。そして私たちもがんばります!
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