中野共立病院看護師採用ブログ

福島へ ~後篇~

実際に行って現地の方々の生の声を聴くことがとても大事なことだと思った。そして聞いた中身を現地につなげてみてくること・・、行っただけではわからないし行かないと実感として伝わらない。「まだ復興も復旧もしていない、しないだろうというのが今の結論ではないか。それほどひどいことをした。新しい形で作り直し発展しましたね・・・というのがこれから何十年もかかって結果的にそうだったということなのだろう」と言われた言葉が、重く心にのしかかり「なんと罪の多いことを私たちは許してきたのだ」「絶対に原発はいらない、脱原発しかない」と再度強く思った。

福島訪問 その3

福島で残って生活しているお母さんが泣きながら語った。夏には放射線量が高いということで学校は窓を閉め切り扇風機を回し蒸し風呂のような教室で勉強した。長袖を着てマスクをかけ、校庭では砂場はブルーシート、あちこちにコーンが立てられ遊べない、時間も制限される。運動会は2時間限定、楽しみの鼓笛隊も中止。すべての普通の生活が奪われ、常に放射能汚染に戦々恐々として生活してきたこと、子供たちの体力はこの1年で確実に落ちている、体重が増えない子、かえって太りすぎる子。免疫力も落ちている、風邪をひきやすい、インフルエンザも蔓延した。いまだに避難していく人がいる・・未来につながる展望が持てない、子供をこれ以上放射能にさらしたくない・・・いろいろな思いが交錯する。そして、気持ちがバラバラになっていく。転校していく子は挨拶もせずそっと去っていく、残るも苦渋出ていくも苦渋の選択なのだ。町がコミュニテイーが崩れ心も寸断されていく・・・、誰がこんな風にしたのか、安全神話に東電のいうことを信じてきたことに怒りと憤りを禁じ得ないといった重たい報告だった。

しかし、どの選択をしてもいい。私はここで生き抜くことを決めた。こどもセンターを中心にいろいろな地域の人々との共同の輪も広がっている。 原発0に向けてもここ福島から発信していきたいと力強いメッセージもあり、本当に福島に思いを寄せ今後の日本の行く道をどう選択するのか、11人が深く考え行動していくことが今を生きる私たちの大きな責任と感じた。

小林はるみ看護部長

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